東日本大震災のバタバタでしばらく更新していなかった。
前回の更新は3月11日午後2時、東日本大震災のあった日だ。
更新してから約45分後に地震がきたんだ。
あの日は晴れていて、息子はいつものように午後のお昼寝をしていた。
私の住んでいる群馬県の北の方は、地震で大きくゆれることがほとんどない。
しかし、あの日はわりと大きくゆれた。
すぐに息子の寝ている横に行き、様子をみていたが、ゆれはなかなかおさまらず、むしろ大きくなってきたので、
寝ている息子を抱えて、庭に出た。近所の人たちも外に出てきていた。
するとまたかなり大きなゆれがきたので、近所の人たちと一緒に近くの空き地に走った。
夢中で走っていたからどのくらいゆれていたのかわからなかったが、
後で母に聞くと、うちの庭に置いてあった金魚の入れ物の水が外に飛び出したそうだ。
空き地でしばらく待機して、家に戻るとタンスの上に重ねてあった空き箱が下に落ち、
本棚の扉が開いて、中に飾ってあった軽いものなどが落ちていた。
本が飛び出すということはなかった。
被害は少ないが、私の人生では一番大きなゆれだった。
テレビを点けると、そこには信じられないような光景が映し出されていた。
宮城で津波が建物を根こそぎさらい、どんどん内陸へむかってあらゆるものを飲み込んでいた。
「まるで映画のようだ。」なんて台詞さえ、それを表現するには陳腐だった。
テレビを見つめ、言葉を失っている中、余震が来た。余震はそのあとも何度もきた。
その度に寒い戸外にでるのは、息子にも負担がかかるので、
空き地に車を持っていき、その中でしばらく様子をみることにした。
夕方5時過ぎになって、ようやく私の父・母とともに家に入った。それでもまたいつ余震が来るのかと気がきではなかった。6時過ぎ仕事に行っていたパパも帰宅。
パパはそんなに驚いてはいなかったが、うちに帰ってきてテレビをみてから怖くなった。
夜もなかなか寝つけないでいた。そして朝4時頃、また大きな余震がきた。
うちは家族全員また空き地の車の中に避難し、朝、日が昇るまで待機した。
こんな状態では仕事は休みに違いないと思っていたが、パパの会社は
「通常営業ですよ~。どうしたんですかぁ?」と、
まるで何もなかったかのように応えていた。